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☆ 1 ☆ ff

01:名前:ff   発信日:2004年 1月11日(日) 23時10分
詐欺出版社、文芸社は、公募ガイドで、あたかも協力出版で本が売れるような宣伝をしているが、これは全くの詐欺。
全国の書店に並ぶ、と公募ガイドに書いてあるが、返本率は100%である。
出版社でもそれはわかっている。

そもそも単行本というものは、著名人のでも、一年に一冊売れるか売れないか、の物なのである。
無名の書き手の本を三ヶ月、ジャンルもごちゃ混ぜの人目に全くつかない書店の隅の棚に置いといて、買う人間がいるはずがない。(棚置きだから、表紙は見えず、タイトルだけが見えるだけである)出版社でもそれはわかっている。

ではなぜそういう無意味なバカげた事をするのか。
詐欺で儲けたふんだんな資金で、公募ガイドの先頭に、全国展開、全国の書店に並びます、などという、いかにも全国で売れるようなイメージの宣伝文句を入れるためだけである。
宣伝に、書き手をうっとりさせる殺し文句を入れるためだけである。
公募ガイドの宣伝に、客にほとんど見えない棚置きを、あたかも平積みのような絵のイラストを入れて、イメージ操作するのも全くの詐欺である。
すべて実情を知らない人間につけ込んだ詐欺商法である。
文芸社の人間には良心など無いからいつまでもバカの一つ覚えの手口でだましつづけるだけである。

が、悪が栄えたためしは無い。いつかバブルは崩壊するだろう。
協力出版の料金は自費出版と同じ200万前後である。
自費出版なら人にあげることは出来る。人に読んでもらえることは出来る。
文芸社は著者をひたすら出版社を儲けさせる販売人にしているだけである。
著者も自分の著作は人に読んでほしいから販売活動を熱心にするしかない。
著者をひたすら出版社に忠実な奴隷にしているだけである。
協力出版では200万もかけて、人にあげることさえ出来ない本を作るのである。
協力出版より、自費出版のほうがはるかにマシである。そして売上げのほとんどが出版社の利益となる。
販売をすべて著者にやらせ、出版社は客をだます宣伝費と、二週間で、作品を下読みし著者をおだてる返事を出す文を書く多数のライターへの人件費に、騙しで儲けた金を惜しみなくつぎ込んでいるだけである。
公募ガイド、および他の、先頭ページにかかる宣伝費用は莫大に高い。
そもそも、全国展開だの、書店に並べます、だの、あたかも出版者が販売の面倒を見てくれるようなイメージを植え付けること自体詐欺である。

無名の著者の単行本が売れないことは出版に携わるものなら誰でも知ってる常識である。
考えてもみるがいい。
東京で売れない本が九州や北海道の書店なら売れるというのか。全くバカげている。
無意味な全国展開などしない協力出版社の方がまだ誠実である。
そして騙しで儲けた莫大な利益で協力出版系の出版社の最大手になった。
だから素人は協力出版なら最大手の文芸社にしようと思う。全くの悪循環である。出版社にとっては良循環。
今度はフェニックス大賞などというものを作って、ほとんどの投稿者に、佳作入選、あと一歩です、などと著者をおだてる返事を出し、あいかわらずバカの一つ覚えの協力出版をさせようとする騙しを恥知らずにしている。
社ではそれを新しいアイデアなどと言って企画部のバカが誇っている。全く開いた口がふさがらない。

文芸社の詐欺手法
文芸社は、すべてが詐欺手法である。まず「出版説明会」について。
「出版説明会」というものを各地で行っているがこれは詐欺。
「出版説明会」という言葉から人はどういうイメージを思いつくだろう。
誰でも出版の流通や、出版界の現状の説明、自社の出版のやり方の説明、をするものだと思うだろう。
そういうものは、協力出版したいと思ってる人間にとって誰でも興味があるから聞きたいと思う。
だが現状はそうではないのである。
電話で申し込んできた人間の住所と電話番号を強引に聞き出し、書きかけの作品や、構想を聞く。
メモ程度でもいいという。そしてそれを必ず持ってくるように言う。
そして「出版説明会」ですることは自社の出版方式の説明ではなく、その構想に対する批評で、それはすばらしい構想だからぜひうちの社で協力出版で出版しなさい、と勧める。
そして後々まで何度も電話をかけてくる。
作品の批評をしてやったことを恩に着せ、縛りにかけるのである。
出版に関する説明などは何もしない。
つまり、「出版説明会」ではなく、キャッチセールスなのである。

文芸社に作品を送ると好意的な評価の文が二週間で返ってくる。
2週間で作品をおだてる批評を送ることによって投稿者を有頂天にさせる。
これがミソの一つなのである。(文学新人賞なら半年待たなくてはならない。そして何の批評もなく落選を知るだけである)。
しかし9割誉め、一点か二点は批判的なことも書く。
なぜそうするかは説明するまでもないだろう。
全てをベタ誉めにしてしまっては、おだて、騙し、八百長だと投稿者に感づかれることを恐れるからである。
批判的なことももっともらしく少し入れることによって、自分達は公正な批評をしていると見せかけるためである。
そしてもう一つ。
そういう欠点もあるから非常に残念ながら、企画出版ではなく、協力出版のレベルだと言うためである。
あと文芸評論家気取りを楽しむためである。
やたら自分達のことをプロ、プロと言っているがプロ風をふかす人間ほど無能である。
プロとは単に金儲けをしているというだけのことである。

オリンピックを考えてみるがいい。
プロでは八百長あり、インチキあり、手抜きあり、サボりあり・・・。成功している安泰の身分だから創意工夫も研究心も何もない。
成功しているバカの一つ覚えのだましの手口にしがみつく以外能がなくなってしまっている。
もっとこうすれば問題を起こさずうまくいくというアイデアが私にはいくつも思いつく。
老婆心から教えてやりたい気もするが骨の髄からの悪人を助ける気には残念ながらなれない。

二刷からは、企画出版になると彼らは言う。
しかしこれもウソ。
協力出版では、一刷は1000部つくる。
二刷からどうするかは出版社と著者との話し合いで決める、と、出版契約書に書いてある。
しかし爆発的な人気、確実に売れる見込みがなければ出版社は絶対に二刷はしない。
ほとんどの著者は一刷だけで終わりである。作者が必死の売込みをしても一刷どまりである。
親戚、友人、知人全てを総動員して頼み、必死の売込みをすれば1000部は売れることもあるだろう。
しかし、親戚、友人、知人がいくら人がいいからといって同じ本を二冊買う阿呆はいない。
そして人にものを頼めば後々の人生でその人に借りを作ってしまう。
たった一冊千円程度の本を買ってもらっても借りは借りである。
その友人に終生、精神的負債を作ってしまう。こんなバカげた事はない。

彼らは自分の住んでる地域の書店、数店に置くことはことは許すが、他の地域に置くことを厳しく咎める。
どこの書店に置くことも出来るはずなのに彼らはそれを許さない。
これは何故か。
一般的、普遍的、売れ行きか、著者の意図的、売れ行きかを厳しく監視するためである。
多くの書店において、著者がそれを買えば、普遍的売れ行きが良いように見えてしまう。
これが彼らにとって困るのである。
著者に姑息な意図がなくても、自由にどこの書店に頼む自由もないのである。
著者に一人の決まった担当者がつき、著者の活動に絶えず目を光らし口を出すのである。
つまり自分の地域の書店に置き、自分で自分の本を買うしかないのである。
自分で自分の本を買わせる。これはささやかな老後の楽しみで、出版した老人には残酷である。

文芸社は著者に200万出させ、自費出版させ、(この出版費で出版社はもう十分過ぎるほど利益を得ている)さらに著者にそれを売らせ、買わせるのである。
出版社としては濡れ手に粟である。これほどボロ儲けできるものはない。

協力出版は、聞いて極楽、見て地獄、なのである。
それで、後で抗議しようと出版社に電話で連絡しても彼らは居留守を使って出ようとしない。
そもそも彼らはちゃんとした説明というものをしない。
出版前も出版後も。客が金を払って自費出版したのだから、出版社は説明する義務がある。
しかし彼らは、課がちがう、だの、分からないだのと、あやふやなごまかし、しかしない。
しかも出版してしまったら後は天下御免で高圧的な態度に出る。
広告で言っていることと実際とはぜんぜん違うというのは詐欺以外の何物でもない。

優れた作品なら企画出版、優れているが、あと一歩の佳作なら協力出版、そうでなければ自費出版、などと宣伝しているが、全ての投稿作品を確実にボロ儲け出来る協力出版に100%したいというのが文芸社の本心なのである。
そして社長の瓜谷綱延のバカはアマチュアの価値ある著作をぜひ世に出したい、などと偽善を吐いているが、私はいくつもの文芸社の協力出版の作品を読んだが、子供の落書きと全く変わらない程度の本も数多くある。
子供も自分の本が世に出ることはうれしいから金に工面がつけば協力本は簡単に作れる。
作品のレベルなんて関係ないのである。何が価値ある著作を世に出したいだ。
商業主義しか頭にないのに大偽善をぬかすな。

そして自費出版レベルの作品や出版したい意欲のない人間にまで、代筆するライターがいます、とすすめ、著者から何と100万円もの代筆料をふんだくって強引に協力出版本をつくらしてしまう。
あきれて物も言えない。
文章というものは下手でも自分の言葉で書くことに価値があるのである。
文は人なり、なのである。
言葉にはその人の心が宿っているのである。
文章が下手なら代筆ライターが書いてやるという上から見下した態度は傲慢きわまりない。
新人賞になりうる優秀な作品でも企画出版とはならない。
そもそも出版業というものは赤字商売なのである。
そんなこと出版関係者なら常識である。単行本の出版は、はじめから赤字がわかりきっているのである。
だが儲けしか頭にない文芸社が自らお願いして飛びつきたがる企画出版もある。
著者がタレント、芸能人、著名作家などの場合である。有名人である。
芸能人の著作や写真集はネームバリユーで十分売れる可能性があるからである。
他社にとられたくもないし、自社のステータスを上げることも出来る。
こういう企画本には惜しみなく莫大な宣伝費をかける。

論より証拠。文芸社に電話をかけてみるがいい。
甘ったるい猫なで声で延々とあなたを引きとめようとする声が返ってくるだろう。
論より証拠。文芸社が提携して、書店に置いているというリブロ池袋へ行ってみるがいい。
店員に聞かない限り絶対自分で文芸社の書棚を見つけることは出来ない。
レジのはるか奥の返本をまとめた所に置いてあるのである。

これは当然である。
文芸社では返本するために全国に配本しているのだから。
宣伝に、全国展開します、と書いた以上、形だけは配本しておかないと詐欺で訴えられた時、確実に負けるからである。訴えられないために、仕方なくいやいや配本しているのである。
文芸社は詐欺で儲けた莫大な資金で大手出版社になったためやたら態度がでかくなった。
利益はテレビドラマだのフェニックス大賞だのすべて自社の拡大のためにしかまわさない。
手前の城の天守閣を高くすることしか考えず、被害者の著者にはビタ一文出しはしない。
被害者も泣き寝入りするだけで根性がない。
相手は社長室で鼻クソほじくるしか能のないバカ殿である。
団結すればバカ殿を倒すことも出来る。江戸時代の百姓一揆をみるがいい。
一揆首謀者は一揆が勝っても死刑なのだぞ。彼らは死ぬことがわかってるうえで戦ったのである。
今の時代のやつらは腰抜けばかりで手前のことしか考えない。
悪に立ち向かう勇気などかけらもない。
手前の本を売ることしか頭にないから団結も生まれない。
だから出版社のいいようにされるだけなのだ。
文芸社ほど規模が大きくなれば、会社と同じ関係である。
社員である著者が団結すれば数からして勝てるのは明らかなのである。
いったい労組のない企業というものが日本にあるだろうか。
協力出版してしまった著者たちも全員が団結して、独裁者の命ずる奴隷的な売り込みを皆でストライキしてしまえば出版社も窮地に立たされて著者に対するサービスを上げざるを得なく出来るのだ。
しかしそんな覇気は彼らにない。
そんなフヌケどもの人間性も著作もご立派なものとは思えない。

文芸社は思い上がりきってしまってもうどしようもない。
情報会社の東京経済(株)が、「文芸社商法の研究」を書いたことで東京経済(株)の渡辺勝利社長を訴えて何と一億も損害賠償を要求しているのだからあきれかえる。
詐欺にあった被害者が訴えて慰謝料を要求するなら分かるが、詐欺師が訴えて一億要求するとは、あきれてものが言えない。
わかりきったことだが文芸社が訴えているわけは事実を世間に知られるとだましの商売が出来なくなるからである。
マイナーな協力出版社の近代文芸社の社長は「協力出版」と言う言葉の誤りをはっきり指摘している。
そして協力出版というものはどういうものかを契約する前に事前にちゃんと説明している。
正直者が潰れて、ちゃんと説明せずにひたすら騙しに徹するものが栄えるのは手放しにしておくべきことではない。

文芸社は契約の仕方も詐欺である。
投稿して二週間後に送ってくるおだての説明には、二刷からは、企画と同じになります、と書いてある。
しかし出版契約書では、二刷は甲乙(著者と出版社)の協議で決める、と書いてある。
しかし文芸社では出版契約をとった後は一方的に出版社のペースで高圧的にやり、客である著者の意見などまったく聞かない。二刷はよほど出版してみて売れ行きが良かったものしかしない。
自分たちは絶対ビタ一文損をしない事しかしない主義である。

そして何事によらず、契約というものは丁寧に説明した上で買い手が十分理解した上でするべきことである。
そんなことは良識ある人間なら常識である。売り手には説明する義務がある。
しかし文芸社は、出版契約の説明などまったくしない上、出版する時期の都合だとか、一方的にごちゃごちゃ言って著者が出版契約の意味をよく理解できないうちに、せかして契約させてしまうのである。
そして契約内容の文句は素人にはわかりにくい難解な文でさりげなく言葉巧みに書かれてあるが、内容はすべて出版社に有利に出来ている。
一度文芸社と関わると泥沼である。
逃げたくても文芸社に出版権を握られてしまうから文芸社の奴隷になるしかないのである。
朝鮮民主主義人民共和国によく似ている。
文芸社が金正日で著者は拉致被害者である。
そもそも出版契約というものは、著者に都合の悪い条項は削除して契約することもできるのである。
しかし出版というものを知らない素人は、そういうことは知らず、出版契約書はただ印を押すものだと思うだろう。
文芸社は出版に関する知識のない素人の無知につけ込んでいるのである。

文芸者がボロ儲けしている構造は大まかに言ってこうである。
(著者から取る千部の自費出版費)+(定価千数百円の本を1000冊著者に売らせる売り上げ)−(「無意味な三ヶ月の返本用の流通費」+「宣伝費」+「下読みとおだての文を書くライターの人件費」)

一人のカモに対し千部の自費出版費と定価千数百円の単行本1000冊の売り上げだけで十分すぎる利益が入る。
これを無限の人間に対してやるのだから全国に配本する費用も簡単に捻出できるのである。
そして著者は自分の本は人に読んでほしいから売り込みは必死にするため売り上げは、著名作家の本以上に十分に保障されている。
またそのため、販売には経費も人件費もかけなくてすむ。
逆に言うなら販売を出版社がしてくれないから著者がするしかない。
なぜ一揆が起こらないのか不思議で仕方がない。
著者はみんな自分のことしか考えないエゴイストの腰抜けばかりだからだろう。

文芸社は、投稿作品のレベルが良ければ企画出版、おしければ協力出版、それ以下なら自費出版などと言っているが、千の投稿作品に対し、企画出版になったものなど一冊もない。
文芸社は絶対に儲かる保障があることだけしかしない。

協力出版という言葉もおかしい。
誰でも協力出版という言葉や公募ガイドの宣伝からは、作品の内容が良いから、制作費を一部出版社がもつとしか読み取れない宣伝である。
作品が良いから出版社が費用をいくらか出す、というようなイメージをつくっているが、協力出版の費用は自費出版と全く同額なのである。
そもそも流通本の制作費を出版社が一部出すというのは法的に問題があって出来ないのである。

文芸社のやり方は、宣伝や契約をかわす前は都合の良いことだけ積極的に説明し、出版契約をかわした後で、都合の悪いことを説明してくるというやり方なのである。

一度協力出版した人間は二度と協力出版などしたいとは思わない。もうこりごりだからである。
文芸社は協力出版させて、著者を後になって怒らせることを分かっている上で誘いをかける。
協力出版した著者はほとんどみんな怒っている。それにはひたすら居留守とごまかしで逃げ、出版契約書の葵の印籠で居直る。
だから文芸社がねらっているカモは協力出版をしたことのない、協力出版の実態を知らない人間である。

どんな人間でも人をだまして人から恨みを買うのは躊躇する。
文芸社が協力出版系の最大手になれた成功の秘訣は、人をだまして人から恨みを買うためらいを捨てた決断の勇気にある。

一度協力出版した人間はもうカモにはならないから文芸社がカモとして狙うのは協力出版した事のない、出版事情に無知な素人である。

だから東京経済(株)のように、「文芸社商法の研究」などのような実情を世間に知られることを書かれるのを最大に恐れるのである。

無名の著者の本が売れるかどうかは自分を基準にして考えてみれば簡単にわかることである。
あなたは今までの人生において、内容のわからない、どこの馬の骨とも知れない無名の人間が書いた本を一度でも注文で買ったことがあるだろうか。
また、買う気も起こらないだろう。
自分が好きな有名作家が新刊を出しても店頭でパラパラッとめくって内容によほど惹かれない限り買わないだろう。
本はかさばるのである。
現代は電車の中でもどこでも読めるポータブルな文庫本時代である。
ましてやどこの馬の骨とも知れない無名の著者の本を、タイトルと数文字のわずかな宣伝文だけで注文で買ったことがあるだろうか。
街頭で配る宣伝のチラシなど迷惑でしかない物だろう。
かりに受け取っても内容など見ようともせずいかに早くゴミ箱に捨てることしか考えないだろう。
ティシャーは祈るような気持ちでチラシを読んでくれることを願っているのに。
無名の作者の本は鼻にもかけないのに自分の本はきっと買ってくれる人がいるなどと夢見る乙女のように思うのはエゴイズム以外の何者でもない。

定価のつけ方もインチキである。
定価は出版社と著者が話し合って決める、と出版契約書に書いてある。
しかし文芸社では、出版契約さえとってしまえばあとは天下御免で著者に高圧的に対応し、定価は一方的に出版社が決める。
無名の著者にとっては本で儲ける事など夢のまた夢であり、読んでくれる人がいたら、それだけで十分すぎるくらいの御の字である。
だから著者としては定価はできるだけ安くしたい。
そう出版社に言っても出版社としては自社の売上と経営と流通費の捻出のことしか考えないから定価を高く決める。
そして定価が高いから売れない。もっとも定価が安くても無名の書き手の本は売れないのだが。

協力出版の特典の宣伝もインチキである。
ISBN番号がつく、だの、国立国会図書館へ納本される、などと特典のように書いてあるが、これは図書館法で定められた義務であって特典でも何でもない。

協力出版は自費出版と同じ約200万前後の料金なのである。
作品内容が優れているから出版社が幾分かを出すというようなニュアンスの宣伝は真っ赤な嘘なのである。
棚卸しに関わる税率の問題からそんなこと出来ないのであるの。

協力出版は流通本的な性格のものではなく、自費出版と同じ性格のものなのである。
買ってくれる人は、親戚、友人、知人など自分と懇意の人だけなのである。
それでもよほど懇意でない限り買ってもらえるものではない。
その人にはその人の生活がある。だから無理矢理お願い申してゴリ押しして買ってもらうのである。
これでは相手に嫌われる。
そしてたいして読んでももらえず捨てられるだけである。
相手は相手の好みの本は大事にする。しかし自分の好みに合わない本は捨てるだけである。
協力出版する人は自分中心にものを考えやすい。
自分がいい本だと思うから相手もいい本だと思って大切にとっといてくれると思いやすい。
自費出版でタダでどうか読んでください、と頼むのが普通である。それなら相手に失礼にならない。
協力出版の収入は、千部、200万の自費出版の収入と、その千部近くのも売らせて入ってくる売り上げの収入である。
千部、200万の自費出版の客を一人獲得できるだけでも十分な収入であり、それが著者の熱心な売り込みによって売られるから、濡れ手に粟のボロ儲けが出来るのである。

しかも出版社は経費も人件費も本の販売にかけなくてすむ。
著名人や早書きライターによる、週刊誌のような現代の話題性に富む新刊の平積み本でも返本率は50%以下で頭を痛めているのである。
しかしただ店頭に平積みしとくだけの著名人の新刊本と違って、協力出版本では著者は、ぜひ自分の本は人に読んでほしいから、押し売りに近いほどの熱心な売り込みをするから、本は知人関係には売れるのである。
もちろん一番の買い手は著者自身である。
親戚、知人でも日頃つき合いがなければ本など容易には買っても、読んでもくれるものではない。
だから著者が自分で買って、どうか読んでくださいと頼むこととなる。
協力出版ではなく、変形的二重払い自費出版なのである。
協力出版ではなく悪質自費出版なのである。

あえて協力している費用といえば、最初の出版時に一回だけする無意味な三ヶ月の全国配本代である。
しかしこんなのは100%の返本率だから何の役にもたたない。
本が流通で多少ともいたむためしない方がむしろマシである。
協力代=本のいため代、である。
出版社もこんなあこぎなことして著者を落胆させて、ふんぞり返っているのだからあきれるばかりである。
千部売るのは大変であり、知人関係は一度使ったら二度は使えないから二刷など絶対にならない。
知人関係にお願い申して買ってもらい、残りは捨てるのはもったいないから著者が買って人にあげてそれで終わりである。
当然そういう仕組みであることは出版社はわかっている。
協力出版とは千部、200万の自費出版の契約でまず儲け、それを著者が買って人にあげるというバカげた変則的二重払い自費出版なのである。


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☆ 2 ☆ dd

01:名前:    発信日:2004年 1月11日(日) 23時07分
詐欺出版社、文芸社は、公募ガイドで、あたかも協力出版で本が売れるような宣伝をしているが、これは全くの詐欺。
全国の書店に並ぶ、と公募ガイドに書いてあるが、返本率は100%である。
出版社でもそれはわかっている。
そもそも単行本というものは、著名人のでも、一年に一冊売れるか売れないか、の物なのである。
無名の書き手の本を三ヶ月、ジャンルもごちゃ混ぜの人目に全くつかない書店の隅の棚に置いといて、買う人間がいるはずがない。(棚置きだから、表紙は見えず、タイトルだけが見えるだけである)出版社でもそれはわかっている。
ではなぜそういう無意味なバカげた事をするのか。
詐欺で儲けたふんだんな資金で、公募ガイドの先頭に、全国展開、全国の書店に並びます、などという、いかにも全国で売れるようなイメージの宣伝文句を入れるためだけである。
宣伝に、書き手をうっとりさせる殺し文句を入れるためだけである。
公募ガイドの宣伝に、客にほとんど見えない棚置きを、あたかも平積みのような絵のイラストを入れて、イメージ操作するのも全くの詐欺である。
すべて実情を知らない人間につけ込んだ詐欺商法である。
文芸社の人間には良心など無いからいつまでもバカの一つ覚えの手口でだましつづけるだけである。
が、悪が栄えたためしは無い。いつかバブルは崩壊するだろう。
協力出版の料金は自費出版と同じ200万前後である。
自費出版なら人にあげることは出来る。人に読んでもらえることは出来る。
文芸社は著者をひたすら出版社を儲けさせる販売人にしているだけである。
著者も自分の著作は人に読んでほしいから販売活動を熱心にするしかない。
著者をひたすら出版社に忠実な奴隷にしているだけである。
協力出版では200万もかけて、人にあげることさえ出来ない本を作るのである。
協力出版より、自費出版のほうがはるかにマシである。そして売上げのほとんどが出版社の利益となる。
販売をすべて著者にやらせ、出版社は客をだます宣伝費と、二週間で、作品を下読みし著者をおだてる返事を出す文を書く多数のライターへの人件費に、騙しで儲けた金を惜しみなくつぎ込んでいるだけである。
公募ガイド、および他の、先頭ページにかかる宣伝費用は莫大に高い。
そもそも、全国展開だの、書店に並べます、だの、あたかも出版者が販売の面倒を見てくれるようなイメージを植え付けること自体詐欺である。
無名の著者の単行本が売れないことは出版に携わるものなら誰でも知ってる常識である。
考えてもみるがいい。
東京で売れない本が九州や北海道の書店なら売れるというのか。全くバカげている。
無意味な全国展開などしない協力出版社の方がまだ誠実である。
そして騙しで儲けた莫大な利益で協力出版系の出版社の最大手になった。
だから素人は協力出版なら最大手の文芸社にしようと思う。全くの悪循環である。出版社にとっては良循環。
今度はフェニックス大賞などというものを作って、ほとんどの投稿者に、佳作入選、あと一歩です、などと著者をおだてる返事を出し、あいかわらずバカの一つ覚えの協力出版をさせようとする騙しを恥知らずにしている。
社ではそれを新しいアイデアなどと言って企画部のバカが誇っている。全く開いた口がふさがらない。

文芸社の詐欺手法
文芸社は、すべてが詐欺手法である。まず「出版説明会」について。
「出版説明会」というものを各地で行っているがこれは詐欺。
「出版説明会」という言葉から人はどういうイメージを思いつくだろう。
誰でも出版の流通や、出版界の現状の説明、自社の出版のやり方の説明、をするものだと思うだろう。
そういうものは、協力出版したいと思ってる人間にとって誰でも興味があるから聞きたいと思う。
だが現状はそうではないのである。
電話で申し込んできた人間の住所と電話番号を強引に聞き出し、書きかけの作品や、構想を聞く。
メモ程度でもいいという。そしてそれを必ず持ってくるように言う。
そして「出版説明会」ですることは自社の出版方式の説明ではなく、その構想に対する批評で、それはすばらしい構想だからぜひうちの社で協力出版で出版しなさい、と勧める。
そして後々まで何度も電話をかけてくる。
作品の批評をしてやったことを恩に着せ、縛りにかけるのである。
出版に関する説明などは何もしない。
つまり、「出版説明会」ではなく、キャッチセールスなのである。

文芸社に作品を送ると好意的な評価の文が二週間で返ってくる。
2週間で作品をおだてる批評を送ることによって投稿者を有頂天にさせる。
これがミソの一つなのである。(文学新人賞なら半年待たなくてはならない。そして何の批評もなく落選を知るだけである)。
しかし9割誉め、一点か二点は批判的なことも書く。
なぜそうするかは説明するまでもないだろう。
全てをベタ誉めにしてしまっては、おだて、騙し、八百長だと投稿者に感づかれることを恐れるからである。
批判的なことももっともらしく少し入れることによって、自分達は公正な批評をしていると見せかけるためである。
そしてもう一つ。
そういう欠点もあるから非常に残念ながら、企画出版ではなく、協力出版のレベルだと言うためである。
あと文芸評論家気取りを楽しむためである。
やたら自分達のことをプロ、プロと言っているがプロ風をふかす人間ほど無能である。
プロとは単に金儲けをしているというだけのことである。

オリンピックを考えてみるがいい。
プロでは八百長あり、インチキあり、手抜きあり、サボりあり・・・。成功している安泰の身分だから創意工夫も研究心も何もない。
成功しているバカの一つ覚えのだましの手口にしがみつく以外能がなくなってしまっている。
もっとこうすれば問題を起こさずうまくいくというアイデアが私にはいくつも思いつく。
老婆心から教えてやりたい気もするが骨の髄からの悪人を助ける気には残念ながらなれない。

二刷からは企画出版になると彼らは言う。
しかしこれもウソ。
協力出版では、一刷は1000部つくる。
二刷からどうするかは出版社と著者との話し合いで決める、と、出版契約書に書いてある。
しかし爆発的な人気、確実に売れる見込みがなければ出版社は絶対に二刷はしない。
ほとんどの著者は一刷だけで終わりである。作者が必死の売込みをしても一刷どまりである。
親戚、友人、知人全てを総動員して頼み、必死の売込みをすれば1000部は売れることもあるだろう。
しかし、親戚、友人、知人がいくら人がいいからといって同じ本を二冊買う阿呆はいない。
そして人にものを頼めば後々の人生でその人に借りを作ってしまう。
たった一冊千円程度の本を買ってもらっても借りは借りである。
その友人に終生、精神的負債を作ってしまう。こんなバカげた事はない。

彼らは自分の住んでる地域の書店、数店に置くことはことは許すが、他の地域に置くことを厳しく咎める。
どこの書店に置くことも出来るはずなのに彼らはそれを許さない。
これは何故か。
一般的、普遍的、売れ行きか、著者の意図的、売れ行きかを厳しく監視するためである。
多くの書店において、著者がそれを買えば、普遍的売れ行きが良いように見えてしまう。
これが彼らにとって困るのである。
著者に姑息な意図がなくても、自由にどこの書店に頼む自由もないのである。
著者に一人の決まった担当者がつき、著者の活動に絶えず目を光らし口を出すのである。
つまり自分の地域の書店に置き、自分で自分の本を買うしかないのである。
自分で自分の本を買わせる。これはささやかな老後の楽しみで、出版した老人には残酷である。

文芸社は著者に200万出させ、自費出版させ、(この出版費で出版社はもう十分過ぎるほど利益を得ている)さらに著者にそれを売らせ、買わせるのである。
出版社としては濡れ手に粟である。これほどボロ儲けできるものはない。

協力出版は、聞いて極楽、見て地獄、なのである。
それで、後で抗議しようと出版社に電話で連絡しても彼らは居留守を使って出ようとしない。
そもそも彼らはちゃんとした説明というものをしない。
出版前も出版後も。客が金を払って自費出版したのだから、出版社は説明する義務がある。
しかし彼らは、課がちがう、だの、分からないだのと、あやふやなごまかし、しかしない。
しかも出版してしまったら後は天下御免で高圧的な態度に出る。
広告で言っていることと実際とはぜんぜん違うというのは詐欺以外の何物でもない。

優れた作品なら企画出版、優れているが、あと一歩の佳作なら協力出版、そうでなければ自費出版、などと宣伝しているが、全ての投稿作品を確実にボロ儲け出来る協力出版に100%したいというのが文芸社の本心なのである。
そして社長の瓜谷綱延のバカはアマチュアの価値ある著作をぜひ世に出したい、などと偽善を吐いているが、私はいくつもの文芸社の協力出版の作品を読んだが、子供の落書きと全く変わらない程度の本も数多くある。
子供も自分の本が世に出ることはうれしいから金に工面がつけば協力本は簡単に作れる。
作品のレベルなんて関係ないのである。何が価値ある著作を世に出したいだ。
商業主義しか頭にないのに大偽善をぬかすな。

そして自費出版レベルの作品や出版したい意欲のない人間にまで、代筆するライターがいます、とすすめ、著者から何と100万円もの代筆料をふんだくって強引に協力出版本をつくらしてしまう。
あきれて物も言えない。
文章というものは下手でも自分の言葉で書くことに価値があるのである。
文は人なり、なのである。
言葉にはその人の心が宿っているのである。
文章が下手なら代筆ライターが書いてやるという上から見下した態度は傲慢きわまりない。
新人賞になりうる優秀な作品でも企画出版とはならない。
そもそも出版業というものは赤字商売なのである。
そんなこと出版関係者なら常識である。単行本の出版は、はじめから赤字がわかりきっているのである。
だが儲けしか頭にない文芸社が自らお願いして飛びつきたがる企画出版もある。
著者がタレント、芸能人、著名作家などの場合である。有名人である。
芸能人の著作や写真集はネームバリユーで十分売れる可能性があるからである。
他社にとられたくもないし、自社のステータスを上げることも出来る。
こういう企画本には惜しみなく莫大な宣伝費をかける。

論より証拠。文芸社に電話をかけてみるがいい。
甘ったるい猫なで声で延々とあなたを引きとめようとする声が返ってくるだろう。
論より証拠。文芸社が提携して、書店に置いているというリブロ池袋へ行ってみるがいい。
店員に聞かない限り絶対自分で文芸社の書棚を見つけることは出来ない。
レジのはるか奥の返本をまとめた所に置いてあるのである。

これは当然である。
文芸社では返本するために全国に配本しているのだから。
宣伝に、全国展開します、と書いた以上、形だけは配本しておかないと詐欺で訴えられた時、確実に負けるからである。訴えられないために、仕方なくいやいや配本しているのである。
文芸社は詐欺で儲けた莫大な資金で大手出版社になったためやたら態度がでかくなった。
利益はテレビドラマだのフェニックス大賞だのすべて自社の拡大のためにしかまわさない。
手前の城の天守閣を高くすることしか考えず、被害者の著者にはビタ一文出しはしない。
被害者も泣き寝入りするだけで根性がない。
相手は社長室で鼻クソほじくるしか能のないバカ殿である。
団結すればバカ殿を倒すことも出来る。江戸時代の百姓一揆をみるがいい。
一揆首謀者は一揆が勝っても死刑なのだぞ。彼らは死ぬことがわかってるうえで戦ったのである。
今の時代のやつらは腰抜けばかりで手前のことしか考えない。
悪に立ち向かう勇気などかけらもない。
手前の本を売ることしか頭にないから団結も生まれない。
だから出版社のいいようにされるだけなのだ。
文芸社ほど規模が大きくなれば、会社と同じ関係である。
社員である著者が団結すれば数からして勝てるのは明らかなのである。
いったい労組のない企業というものが日本にあるだろうか。
協力出版してしまった著者たちも全員が団結して、独裁者の命ずる奴隷的な売り込みを皆でストライキしてしまえば出版社も窮地に立たされて著者に対するサービスを上げざるを得なく出来るのだ。
しかしそんな覇気は彼らにない。
そんなフヌケどもの人間性も著作もご立派なものとは思えない。

文芸社は思い上がりきってしまってもうどしようもない。
情報会社の東京経済(株)が、「文芸社商法の研究」を書いたことで東京経済(株)の渡辺勝利社長を訴えて何と一億も損害賠償を要求しているのだからあきれかえる。
詐欺にあった被害者が訴えて慰謝料を要求するなら分かるが、詐欺師が訴えて一億要求するとは、あきれてものが言えない。
わかりきったことだが文芸社が訴えているわけは事実を世間に知られるとだましの商売が出来なくなるからである。
マイナーな協力出版社の近代文芸社の社長は「協力出版」と言う言葉の誤りをはっきり指摘している。
そして協力出版というものはどういうものかを契約する前に事前にちゃんと説明している。
正直者が潰れて、ちゃんと説明せずにひたすら騙しに徹するものが栄えるのは手放しにしておくべきことではない。

文芸社は契約の仕方も詐欺である。
投稿して二週間後に送ってくるおだての説明には、二刷からは、企画と同じになります、と書いてある。
しかし出版契約書では、二刷は甲乙(著者と出版社)の協議で決める、と書いてある。
しかし文芸社では出版契約をとった後は一方的に出版社のペースで高圧的にやり、客である著者の意見などまったく聞かない。二刷はよほど出版してみて売れ行きが良かったものしかしない。
自分たちは絶対ビタ一文損をしない事しかしない主義である。

そして何事によらず、契約というものは丁寧に説明した上で買い手が十分理解した上でするべきことである。
そんなことは良識ある人間なら常識である。売り手には説明する義務がある。
しかし文芸社は、出版契約の説明などまったくしない上、出版する時期の都合だとか、一方的にごちゃごちゃ言って著者が出版契約の意味をよく理解できないうちに、せかして契約させてしまうのである。
そして契約内容の文句は素人にはわかりにくい難解な文でさりげなく言葉巧みに書かれてあるが、内容はすべて出版社に有利に出来ている。
一度文芸社と関わると泥沼である。
逃げたくても文芸社に出版権を握られてしまうから文芸社の奴隷になるしかないのである。
朝鮮民主主義人民共和国によく似ている。
文芸社が金正日で著者は拉致被害者である。
そもそも出版契約というものは、著者に都合の悪い条項は削除して契約することもできるのである。
しかし出版というものを知らない素人は、そういうことは知らず、出版契約書はただ印を押すものだと思うだろう。
文芸社は出版に関する知識のない素人の無知につけ込んでいるのである。

文芸者がボロ儲けしている構造は大まかに言ってこうである。
(著者から取る千部の自費出版費)+(定価千数百円の本を1000冊著者に売らせる売り上げ)−(「無意味な三ヶ月の返本用の流通費」+「宣伝費」+「下読みとおだての文を書くライターの人件費」)

一人のカモに対し千部の自費出版費と定価千数百円の単行本1000冊の売り上げだけで十分すぎる利益が入る。
これを無限の人間に対してやるのだから全国に配本する費用も簡単に捻出できるのである。
そして著者は自分の本は人に読んでほしいから売り込みは必死にするため売り上げは、著名作家の本以上に十分に保障されている。
またそのため、販売には経費も人件費もかけなくてすむ。
逆に言うなら販売を出版社がしてくれないから著者がするしかない。
なぜ一揆が起こらないのか不思議で仕方がない。
著者はみんな自分のことしか考えないエゴイストの腰抜けばかりだからだろう。

文芸社は、投稿作品のレベルが良ければ企画出版、おしければ協力出版、それ以下なら自費出版などと言っているが、千の投稿作品に対し、企画出版になったものなど一冊もない。
文芸社は絶対に儲かる保障があることだけしかしない。

協力出版という言葉もおかしい。
誰でも協力出版という言葉や公募ガイドの宣伝からは、作品の内容が良いから、制作費を一部出版社がもつとしか読み取れない宣伝である。
作品が良いから出版社が費用をいくらか出す、というようなイメージをつくっているが、協力出版の費用は自費出版と全く同額なのである。
そもそも流通本の制作費を出版社が一部出すというのは法的に問題があって出来ないのである。

文芸社のやり方は、宣伝や契約をかわす前は都合の良いことだけ積極的に説明し、出版契約をかわした後で、都合の悪いことを説明してくるというやり方なのである。

一度協力出版した人間は二度と協力出版などしたいとは思わない。もうこりごりだからである。
文芸社は協力出版させて、著者を後になって怒らせることを分かっている上で誘いをかける。
協力出版した著者はほとんどみんな怒っている。それにはひたすら居留守とごまかしで逃げ、出版契約書の葵の印籠で居直る。
だから文芸社がねらっているカモは協力出版をしたことのない、協力出版の実態を知らない人間である。

どんな人間でも人をだまして人から恨みを買うのは躊躇する。
文芸社が協力出版系の最大手になれた成功の秘訣は、人をだまして人から恨みを買うためらいを捨てた決断の勇気にある。

一度協力出版した人間はもうカモにはならないから文芸社がカモとして狙うのは協力出版した事のない、出版事情に無知な素人である。

だから東京経済(株)のように、「文芸社商法の研究」などのような実情を世間に知られることを書かれるのを最大に恐れるのである。

無名の著者の本が売れるかどうかは自分を基準にして考えてみれば簡単にわかることである。
あなたは今までの人生において、内容のわからない、どこの馬の骨とも知れない無名の人間が書いた本を一度でも注文で買ったことがあるだろうか。
また、買う気も起こらないだろう。
自分が好きな有名作家が新刊を出しても店頭でパラパラッとめくって内容によほど惹かれない限り買わないだろう。
本はかさばるのである。
現代は電車の中でもどこでも読めるポータブルな文庫本時代である。
ましてやどこの馬の骨とも知れない無名の著者の本を、タイトルと数文字のわずかな宣伝文だけで注文で買ったことがあるだろうか。
街頭で配る宣伝のチラシなど迷惑でしかない物だろう。
かりに受け取っても内容など見ようともせずいかに早くゴミ箱に捨てることしか考えないだろう。
ティシャーは祈るような気持ちでチラシを読んでくれることを願っているのに。
無名の作者の本は鼻にもかけないのに自分の本はきっと買ってくれる人がいるなどと夢見る乙女のように思うのはエゴイズム以外の何者でもない。

定価のつけ方もインチキである。
定価は出版社と著者が話し合って決める、と出版契約書に書いてある。
しかし文芸社では、出版契約さえとってしまえばあとは天下御免で著者に高圧的に対応し、定価は一方的に出版社が決める。
無名の著者にとっては本で儲ける事など夢のまた夢であり、読んでくれる人がいたら、それだけで十分すぎるくらいの御の字である。
だから著者としては定価はできるだけ安くしたい。
そう出版社に言っても出版社としては自社の売上と経営と流通費の捻出のことしか考えないから定価を高く決める。
そして定価が高いから売れない。もっとも定価が安くても無名の書き手の本は売れないのだが。

協力出版の特典の宣伝もインチキである。
ISBN番号がつく、だの、国立国会図書館へ納本される、などと特典のように書いてあるが、これは図書館法で定められた義務であって特典でも何でもない。

協力出版は自費出版と同じ約200万前後の料金なのである。
作品内容が優れているから出版社が幾分かを出すというようなニュアンスの宣伝は真っ赤な嘘なのである。
棚卸しに関わる税率の問題からそんなこと出来ないのであるの。

協力出版は流通本的な性格のものではなく、自費出版と同じ性格のものなのである。
買ってくれる人は、親戚、友人、知人など自分と懇意の人だけなのである。
それでもよほど懇意でない限り買ってもらえるものではない。
その人にはその人の生活がある。だから無理矢理お願い申してゴリ押しして買ってもらうのである。
これでは相手に嫌われる。
そしてたいして読んでももらえず捨てられるだけである。
相手は相手の好みの本は大事にする。しかし自分の好みに合わない本は捨てるだけである。
協力出版する人は自分中心にものを考えやすい。
自分がいい本だと思うから相手もいい本だと思って大切にとっといてくれると思いやすい。
自費出版でタダでどうか読んでください、と頼むのが普通である。それなら相手に失礼にならない。
協力出版の収入は、千部、200万の自費出版の収入と、その千部近くのも売らせて入ってくる売り上げの収入である。
千部、200万の自費出版の客を一人獲得できるだけでも十分な収入であり、それが著者の熱心な売り込みによって売られるから、濡れ手に粟のボロ儲けが出来るのである。
しかも出版社は経費も人件費も本の販売にかけなくてすむ。
著名人や早書きライターによる、週刊誌のような現代の話題性に富む新刊の平積み本でも返本率は50%以下で頭を痛めているのである。
しかしただ店頭に平積みしとくだけの著名人の新刊本と違って、協力出版本では著者は、ぜひ自分の本は人に読んでほしいから、押し売りに近いほどの熱心な売り込みをするから、本は知人関係には売れるのである。
もちろん一番の買い手は著者自身である。
親戚、知人でも日頃つき合いがなければ本など容易には買っても、読んでもくれるものではない。
だから著者が自分で買って、どうか読んでくださいと頼むこととなる。
協力出版ではなく、変形的二重払い自費出版なのである。
協力出版ではなく悪質自費出版なのである。
あえて協力している費用といえば、最初の出版時に一回だけする無意味な三ヶ月の全国配本代である。
しかしこんなのは100%の返本率だから何の役にもたたない。本が流通で多少ともいたむためしない方がむしろマシである。
協力代=本のいため代、である。
出版社もこんなあこぎなことして著者を落胆させて、ふんぞり返っているのだからあきれるばかりである。
千部売るのは大変であり、知人関係は一度使ったら二度は使えないから二刷など絶対にならない。
知人関係にお願い申して買ってもらい、残りは捨てるのはもったいないから著者が買って人にあげてそれで終わりである。
当然そういう仕組みであることは出版社はわかっている。
協力出版とは千部、200万の自費出版の契約でまず儲け、それを著者が買って人にあげるというバカげた変則的二重払い自費出版なのである。


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☆ 3 ☆ 芸術と人文

01:名前:   発信日:2002/04/25(Thu) 20:49
「芸術と人文」

02:名前:明るい芸術家♪♪   発信日:2002年 4月 13日(土) 20時14分


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